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うめぽんのマジレスファン倶楽部


[31]サッカー批評21号から 1[sage]:05/01/18 21:29 ID:F0KNyZXs
【季刊サッカー批評 issue21 2004】
コンサドーレ札幌、つぎはぎの8シーズン ◎永井謙一郎
雪の便りが届くころ、北国のクラブの経営スリム化が聞こえてきた。
コンサドーレ札幌が、身をくねらせてもだえている。
すべての原因は、その発足時に抱え込んだ、現実から目を背け、
問題を先送りにする体質を変えられなかったことにある。8年間のツケが回ってきた。
楽観できる要因は、いまのところまったくない。
◆新社長が決まった夜
 02年12月、札幌のとある居酒屋。外の厳しい寒さと遮断されてほのかに暖かい。
が、還暦を過ぎる男3人が顔を寄せるその席には、煮詰まって重苦しい空気が溜まっていた。
「佐々木くん、やってくれんか」
 もう何度も繰り返し頼まれているが、首を縦には振らない。
その男、佐々木利幸の意思は一向に揺らぐことはなかった。
「市長。私にはサッカーの経験はありません。他に適任の人はいるでしょう」
 自分ももう65歳。かれこれ45年間、市に奉職してきた。
あとはのんびりゴルフでもしながら第二の人生。
これまで働き通しだった自分に、それくらいのささやかなほうびがあったっていいだろう。
 でも、この時の市長、桂信雄(03年5月1日退任、現札幌ドーム社長)の心は一つだった。
隣に座る、98年より4年以上、プロサッカーチームの社長をやってきた田中良明も、
桂とともに説得に加わる。
この三者は札幌市役所時代、財政部で桂部長、田中課長、佐々木係長と、
上司・部下の一本のラインでつながっていた。
 桂にとっては、財政難のサッカーチームの社長に田中を推したのも自分。
その田中がチームのJ2降格決定で引責辞任した以上、
後任を決める責任もまた己にあると感じていた。
民間の経済人からという案もあったが、やりたい素振りをちらちら見せる人物の中に、
巨額の赤字を抱えるチームの改革を任せられそうな者は桂には見あたらなかった。
安心して推せるのは佐々木しかいないと確信していた。
 桂も田中も、佐々木に酒をすすめる。酔わせて、勢いで「はい」と言わせるつもりなのだろう。


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