板 1- 前 次 新 更 TB AA レス
うめぽんのマジレスファン倶楽部
[36]サッカー批評21号から 6[sage]:05/01/18 21:40 ID:F0KNyZXs
最初から無謀な計算だった。ただ、試合に勝つことでうやむやになっていた。
勝つためには、選手への出費で赤字になるのも仕方のないこと。
そんな考えが支配していた。
そこに97年12月、今井が本業・丸井今井で財務悪化の責任を問われ、
トップの座から追放され、同時に道内経済界の第一線から脱落したことが、
HFC危機への直接的な引き金となった。
もとをたどればこの前月、北海道金融界の心臓ともいえる北海道拓殖銀行が破綻したことが、
丸井今井内の経営見直しの契機となった。
チーム初期のスポンサー企業は、HFC会長だった今井の掛け声で集まったところが多い。
さらに97年は今井と石水が各3億5000万円ずつ銀行に預金して、
それを担保に同額の融資をHFCが銀行から受け、運転資金としていた。
この分のあてがごっそりなくなることは即、資金繰りのピンチを意味する。
この今井失脚は、赤字挽回について甘いメドを持っていたHFCにとって、
まったくその後の見込みを狂わせることになった。
97年当時のHFC経営状態は、今井会長、石水副会長(現在のHFC役職は副社長)、
そして金井英明社長(其水堂金井印刷社長)と代表取締役が三人いて、
「三人で一人の社長をやっていたようなもの」(金井・北海道新聞98年2月11日朝刊)
と、決定者が一本化されてなく、あいまいだった。
そんな状態で今井が抜け、HFC首脳たちは桂市長に助けを求めた。
02年ワールドカップの開催都市となり、試合会場となる札幌ドームの建設も決まった。
そんな町でJリーグチームがなくなるというのは対外的に悪印象だ。
HFCを支援すべし、と桂は決断した。かつての自分の部下の、
元助役で札幌リゾート開発公社社長の田中を新社長として送り、
当時の堀達也北海道知事にも連絡し、98年には運転資金として市と道それぞれ5億円ずつの貸付金と、
99年からは年1億円の補助金拠出(道は00年から)を決めた。
前 次 新 更 TB AA