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うめぽんのマジレスファン倶楽部
[41]サッカー批評21号から 11[sage]:05/01/18 21:49 ID:F0KNyZXs
◆名前優先の監督人事
チーム現場はというと、99年より3シーズン、岡田武史監督体制になる。
98年の1シーズンだけトップリーグを経験したが、すぐ転落し、翌年はJ2。
00年J2優勝でチームに再び意欲が戻り、01年はJ1残留という最低限の目標を達成する。
00年度からの2年間はHFCも単年度黒字を続けて達成。
特に01年は札幌ドームオープンの年で、5試合のドーム戦すべて3万人以上の観客動員で、
やっとこれからチームも右肩上がりになるかと誰もが夢想していた頃だ。
この岡田招聘については、濱田が交渉人だった。
「ウーゴ・フェルナンデス監督(97年〜98年10月)の代理人と金銭面で問題が生じ、
もう代理人を介する外国人監督はやめよう、次は日本人だということになった」(濱田)
98年晩夏から秋のことだった。浮かび上がった監督候補者は、岡田の他に加茂周、加藤久。
もとより彼らとのパイプがあったわけではない。要するに名前先行だった。
「Jリーグ関係者から岡田の携帯の番号を聞き出し、フランスワールドカップ後の動向を探ったら、
フリーのようだと。ならばと即座に電話して、都内のホテルで会う約束をとりつけた。
口説いた事は3つのポイント。
1つは、代表監督を経験したとはいえクラブのトップチーム監督の経験はないのですから、
キャリアを積んでみてはと。
次に、ワールドカップであれほどの騒動に遭ったのですから、一度首都圏を離れてみてはどうですかと。
3点目に、ウチはかつての日本リーグから続く古いチームではないので、人脈とか慣習に縛られず、
自由に指揮をふるうことができますよ、と説いたわけです」(濱田)
これに岡田は同調した。
ただし収支のまずさを加入後に知り、「だまされた」と後に半分本気でこぼすのだが。
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