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うめぽんのマジレスファン倶楽部
[42]サッカー批評21号から 12[sage]:05/01/18 21:51 ID:F0KNyZXs
このような手法での監督探しは、二度も同じようにうまくはいかない。
02年、岡田の後を継いだのは柱谷哲二。
公認S級ライセンスを取得したばかりで、監督としての手腕は未知数。
ここでも、岡田の時のように
「ドーハの戦士、日本代表の有名選手だ」
と、経営陣が名前先行で選び、賭けた。
S級取得には、C級、B級へと段階を踏むことが必要だが、
日本代表国際Aマッチ出場20試合以上もしくはJリーグ公式戦出場200試合以上の人材については
C級からS級へ飛び級が可能。柱谷はその最初のケースだった。
その柱谷の就任「内定」会見は02年1月8日。
S級取得を受けての正式な監督就任発表は1月17日。
就任報道は前年末に既に広まっていて、体制を早く固めてチーム始動に向けたいための日取りだった。
しかし戦績は開幕からずっと最下位に沈んだ。
柱谷の解任日は直前の公式戦(5月12日・ナビスコカップ)から3週間を過ぎた、
ワールドカップ期間内でJ公式戦休止中の6月3日。
初の飛び級監督ということと、元日本代表キャプテンの重みを考慮して、時間を費やした。
この解任日は札幌ドームでのイタリア対エクアドル戦の日。
喧騒に紛れるように発表された。
その後、ラミドロ・イバンチェビッチ、前年よりコーチの張外龍と監督を二度代えるが、勝運は来ず、
2シーズンでまたJ2降格となった。
03年監督はジョアン・カルロス。鹿島(リーグ戦、ナビスコカップ、天皇杯)と名古屋(天皇杯)で優勝歴があり、
厳しい性格で鳴らす人物だ。
降格して意気消沈しているチームに必要なのは強気だという考えと、
そして「1年でJ1復帰」というHFCの目標に則っての監督人選だった。
これは佐々木社長就任前の02年11月に固まった方針だ。
目標を高く掲げないといい選手を引き留められないし、社員の志気も下がるだろう。
周辺の空気もチームを見放して誰もついてこないのでは。
サッカーチームは勝たなきゃだめだ。そんな考えから、副社長の石水が切り出した道筋だった。
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