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うめぽんのマジレスファン倶楽部
[38]サッカー批評21号から 8[sage]:05/01/18 21:43 ID:F0KNyZXs
◆あの手この手の金集め
98年はJリーグ年会費の延納を許してもらいながら、あれこれ動いた。
1個500円のカンバッジを買ってもらってチームへの募金としたり(97年12月末から)、
「サポートシップスポンサー」という広告枠もできた。
個人商店や飲食店対象の、年5万円の小口枠だ。100万や1000万単位の大口が無理なら、
せめて小口をかき集めようとした。
また「コンサドーレ札幌北海道後援会」なる任意団体も生まれた。
1口5000円を出して、事務経費などを除いた分をHFCに寄付して、収入不足を補おうという趣旨だ。
初年度からあったファンクラブとこの後援会はどう違うのかと誰しも疑問を持ったが
「(ファンクラブは)グッズの割引や入場券の割引があります。
(中略)形としての見返りを期待するのであればファンクラブ」
「後援会は、基本的に寄付をするということです」(濱田・札幌都市研究センター「札幌都市研究第8集」より) 省43
[39]サッカー批評21号から 9[sage]:05/01/18 21:45 ID:F0KNyZXs
00年11月から12月にかけて、「サポーターズ持株会」会員公募による増資活動が行われた。
持株会とは96年からあるもので、1口5万円を払って会員になり、
その5万円は持株会名義のHFC株1株になる。このときで3回目となる会員公募=増資は、
要はサポーターに向けて「5万円出してくれ」ということだ。
カネ不足は相変わらずで、大金を出してくれる企業が見つからなかったための策だった。
これには約3億円が集まった。この年のJ2優勝の波にうまく乗れた。
この好感触を受けて、01年11月から1年間、持株会理事有志のかけ声で、
今度は増資ではなく収入として募金が集められたが、約4000万円にとどまった。
波は引いていた。
03年は個人対象、1口1万円の「パーソナルスポンサー」なる企画を7月に立てていた
(04年度収入に振り分けられる)。収入源はもう年度途中で予測できていたので、 省24
[40]サッカー批評21号から 10[sage]:05/01/18 21:47 ID:F0KNyZXs
HFCの資本金は、設立時の96年4月で8億3700万円。
その後、増資を幾度か繰り返し、現在は25億5625万円。
この増資の目的は、もっぱら選手・監督などトップチーム人件費のためだった。
通常、企業において資本金を募るのは、工場など企業の資産を築くためであり、
選手の給料は資産とはいえない。
なのに、入場料や広告料などの収入で選手人件費をまかなういう理想的な構図に近づける努力を怠り、
赤字になり、やむなく資本金を現金という流動資産に取り崩して、それを食いつぶすという構図になり、
設立2年目にして早くも破綻の音が鳴り響いた。
しかしその後も、00年のように、増資で金を得ようとした。
資本金5億円以上の企業は商法上大会社扱いとなり、株主総会で決算を通すにも監査法人の監査が必要で、
監査法人への費用は年間400万円。 省16
[41]サッカー批評21号から 11[sage]:05/01/18 21:49 ID:F0KNyZXs
◆名前優先の監督人事
チーム現場はというと、99年より3シーズン、岡田武史監督体制になる。
98年の1シーズンだけトップリーグを経験したが、すぐ転落し、翌年はJ2。
00年J2優勝でチームに再び意欲が戻り、01年はJ1残留という最低限の目標を達成する。
00年度からの2年間はHFCも単年度黒字を続けて達成。
特に01年は札幌ドームオープンの年で、5試合のドーム戦すべて3万人以上の観客動員で、
やっとこれからチームも右肩上がりになるかと誰もが夢想していた頃だ。
この岡田招聘については、濱田が交渉人だった。
「ウーゴ・フェルナンデス監督(97年〜98年10月)の代理人と金銭面で問題が生じ、
もう代理人を介する外国人監督はやめよう、次は日本人だということになった」(濱田)
98年晩夏から秋のことだった。浮かび上がった監督候補者は、岡田の他に加茂周、加藤久。 省38
[42]サッカー批評21号から 12[sage]:05/01/18 21:51 ID:F0KNyZXs
このような手法での監督探しは、二度も同じようにうまくはいかない。
02年、岡田の後を継いだのは柱谷哲二。
公認S級ライセンスを取得したばかりで、監督としての手腕は未知数。
ここでも、岡田の時のように
「ドーハの戦士、日本代表の有名選手だ」
と、経営陣が名前先行で選び、賭けた。
S級取得には、C級、B級へと段階を踏むことが必要だが、
日本代表国際Aマッチ出場20試合以上もしくはJリーグ公式戦出場200試合以上の人材については
C級からS級へ飛び級が可能。柱谷はその最初のケースだった。
その柱谷の就任「内定」会見は02年1月8日。
S級取得を受けての正式な監督就任発表は1月17日。
就任報道は前年末に既に広まっていて、体制を早く固めてチーム始動に向けたいための日取りだった。
しかし戦績は開幕からずっと最下位に沈んだ。
柱谷の解任日は直前の公式戦(5月12日・ナビスコカップ)から3週間を過ぎた、 省46
[43]サッカー批評21号から 13[sage]:05/01/18 21:52 ID:F0KNyZXs
この時、社長の田中や他の経営陣は誰も道筋を決めることができなかった。
決定者不在の社風は依然続いていた。
だから、創立時からHFCの関わる石水がなんとか決断して、物事を進めるしかなかった。
この目標に基づき、03年トップチーム人件費(選手・監督・コーチ)は前年度決算(約8億5000万円)と
ほぼ同レベルの約8億6000万円を注ぎ込んだ。
特に開幕時点のブラジル人選手・監督・コーチングスタッフには2億円をかけた。
J1に上がるにはいい選手の確保を、いい選手にはカネがかかるだろう、と考えたからだ。
一方、この年の予算は450万円の黒字で計算。
何か一つのメドが外れれば即赤字に転落する、ギリギリの数字だった。
丁か半か。J1仕様の金額を投入しての賭けは見込みを外した。
主力選手にケガ人続出、外国人選手はシーズン途中で3人総入れ替え、 省11
[44]サッカー批評21号から 14[sage]:05/01/18 21:54 ID:F0KNyZXs
◆スタッフは育ったのか
03年。こうした課題山積みのHFCに、田中と違い今度は常勤として、佐々木は身を投じた。
まずとにかく様々な場へ顔を出そうと決めていた。
自身の長所と信じるフットワークの軽快さを生かそうとした。
札幌北高卒業後、57年に市役所に入った佐々木の最初の仕事は防疫。
業者と一緒になっての野犬狩りだった。
自分は指揮する立場だから、クルマにでも乗って黙って仕事を見守っているだけでもよかった。
でも、上の人間も一緒になって働けば、下の人間もよりやる気が出る。
「おい佐々木さんよ、俺たち向こうから犬を追い回すから、あんたそこで待ち伏せしてくれ」
こうして、どんな人とも、どんな仕事でも分け隔てなく、日々汗を流してきた。
佐々木の手には、その最初の仕事の頃に野犬に咬まれた痕が残っている。
HFCに来る直前の役職は、(財)札幌市青少年婦人活動協会の理事長。 省26
[45]サッカー批評21号から 15[sage]:05/01/18 21:55 ID:F0KNyZXs
桂は打ち合わせの時によく部下の佐々木を連れて行った。
言った、言わないのトラブルを防ぐため、傍らで話を聞いておく役割としてだ。
「おい、こないだ言ったことと違うじゃないか!」
とひるまずに問い詰めた。上の立場の桂が言いにくいことも、佐々木はためらわず口にした。
その実直ぶりを桂は信頼していた。
●
就任後の1月から3月にかけて、佐々木はHFC社員一人ずつ全員、個別面談をした。
まずは対話からだ。そうして社内の様子の把握に努めた。
しかし、設立8年目でこれほど会社は淀むものなのか・・・と呆然とした。
Jリーグの会議などいろいろな用件で東京に出張することが多い。
会社の財政難は先刻承知なので、佐々木自身は日帰り旅程を組んで、夜8時羽田発の最終便で帰札した。
ところが他の社員は、最終便に間に合うはずなのに1泊の旅程を組み、 省26
[46]サッカー批評21号から 16[sage]:05/01/18 21:57 ID:F0KNyZXs
営業活動の動きも、元公務員の目から見ても明らかに鈍い。
数年前のことだが、ユニフォームスポンサーという大お得意様のサッポロビールに、
スポンサー契約期間スタートの2月をとうに過ぎ、4月になってやっと契約書を持って訪れたということがあった。
その他のスポンサー企業でも、HFCの営業が挨拶に来るのは年に3度もあるかどうかというところもある。
淀んだ空気を一掃するため、5月には人事異動を行い、今までの流れを断ち切ろうとした。
毎週火曜日の朝礼で、
「チームがなくなるんだぞ!」
と一喝し、手を動かして1枚でもチケットを売り、足を動かして1件でもスポンサーを取ってこなければ、
もうつぶれるぞと訴えた。
それでも、いろいろ理屈を言って、下の人間は動かない。
自治体の支援や市民からの募金で持ちこたえてきて、危機意識が育たずにきたツケなのか。
それでも佐々木は粘り強く辛抱もした。 省40
[47]サッカー批評21号から 17[sage]:05/01/18 21:59 ID:F0KNyZXs
◆ビフテキより、ホッケやジャガイモ
03年12月3日、札幌市内のホテルで、スポンサー企業を対象にした謝恩会が催される。
その場で、HFCの04年度からの「5か年計画」が発表される運びだ。
中身は、年度ごとの収支や成績のメド、札幌市内のユース練習場周辺の整備計画など。
5年かけてのんびりJ1に上がれれば、という弱気含みのものではない。
5年かけてこれまでの淀みを一掃し、会社を根底から作り直し、
5年後の時点でJ1定着が果たせていることがテーマ。いわば「第二の創業」だ。
もう無謀な見込みの収入案、見栄を張った予算は組まない。
03年10月時点での大まかな枠だが、04年度予算で、収入は入場料3億、広告料4億、
Jリーグ分配金1億、市と道からの補助金各1億で計10億円。
支出は、トップチーム人件費3億、トップチーム遠征・合宿費2億、ユースチーム費1億、
試合運営費2億、社内人件費1億、その他1億で、計10億円。 省36
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